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第32軍司令壕跡


守礼の門から歓会門方面へ向かう道を竜潭池へ降りる斜面に、鉄格子で覆われたコンクリート造りのトーチカがあります。
これが現在、一般に目に触れることのできる第32軍司令部の残骸です。

1944年3月安里に置かれた司令部は、翌年1月米軍の上陸に備え、より立地条件の良い首里に移されました。
「天ノ巖戸作戦司令部」と名付けられたこの壕は、首里城地下15〜35mに構築され、総延長1qにも及びます。
戦争当時内部には、牛島司令官・長参謀長以下、1000人を超える軍人と民間人の関係者がいたと言われています。

米軍の侵攻に対し、32軍は2度の総攻撃を試みますがこれに敗退、多大な被害とともに撤退を余儀なくされました。
1945年5月27日、32軍は壕を爆破、摩文仁へと向かい死の行軍を始めます。

壕の入り口は全部で5つありましたが、県立芸大寮内にある第5坑道口が唯一現存している入り口となります。
一般道から近づくことができるのは、衛兵のいたトーチカのみであり、ここから地下壕へは入ることはできません。
世界文化遺産の1つでもある首里城趾に、このような負の遺産があることを知る人は多くはないでしょう。
現在、内部公開の計画も持ち上がっているようです。

   
首里城城壁沿いに残るトーチカ

   
守礼門横にある城西小学校(旧師範付属小学校)の校門
城壁に沿った学校敷地内にも司令部施設の残骸があります。

   
おそらく第2坑道口と思われる煉瓦積みの施設
学校側から見るとすでにあらかた埋没してしまっていました。(右は学校の敷地の外に飛び出している部分)