海軍司令部壕跡

ここは、私が初めて訪れた沖縄本島の南部戦跡です。
*
海軍司令部壕は、1994年小禄飛行場の守備を任務とする
海軍沖縄根拠地隊が米軍の上陸に備えて完成させました。
1995年6月4日、米軍第6海兵師団が小禄近くに上陸。
同年6月6日、米軍は司令部壕に対し攻撃を開始しました。
*
この時点で、大田実司令官は、海軍次官宛に戦況を綴った電文を送っていますが、その最後に
「沖縄県民かく戦へり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」と記しています。
当時の沖縄根拠地隊の兵員は約1万、うち軍人は1千人に満たなかったそうです。
つまり、隊の兵力の9割以上は県内での召集でまかなわれていたということになります。
加えて、本土の人びとから沖縄県民に向けられる目は厳しく、
県民総スパイ容疑など、偏見に満ちみちていたといわれています。
大田司令官は、ともに血を流した沖縄県民の名誉のため、
電文の最後をあえてこのような結びとしたのではないでしょうか?
*
そして、6月11日の一斉攻撃により、司令部壕は壊滅的な打撃を受けました。
6月13日、大田司令官以下、幕僚が自決し、沖縄での日本海軍の戦闘は終了します。
陸軍(第32軍)が組織的戦闘を終了する10日ほど前でした。

海軍壕公園ビジターセンター
近年、ビジターセンターが新築されました。ここには兵士たちの遺品も数多く展示されています。

海軍司令壕跡入口
以前は建物の外にあった壕入口も、今はビジターセンター内から入るようになりました。
白壁のセンターから壕入口をくぐると長い階段を下ることになります。
手すりや照明は完備されていますが、湿った空気が当時の様子を想像させます。

壕内には、兵士たちが自決した際についた手榴弾の跡が残されています。

太田司令官の部屋
正面の壁に、辞世の句が書かれています。
また、左側の壁には「醜米覆滅」の文字も見られます。