嘉数高地

1945年4月1日、とうとう沖縄本島中部の西海岸に米軍が上陸しました。
これに対し、日本軍からのさしたる抵抗はなく、無血上陸した米軍は、中部一帯を制圧しました。
中部地域を征圧し勢いづいた米軍は、首里の司令部を目指し南下を始めました。
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日本軍が抵抗しなかったのはなぜでしょう。その秘密が嘉数高地にあります。
日本軍はこの嘉数高地と、となりあう前田高地とに頑強な洞窟陣地やトーチカを築き、米軍を待ち受けていたのです。
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4月8日、嘉数高地で待ちかまえていた日本軍との戦闘が始まりました。
初めて日本軍の本格的な抵抗を受けた米軍は、1日に100メートル前進するのがやっとだったといいます。
両軍による戦いはとても厳しいものとなり、16日間ものあいだ一進一退の攻防が続きました。
嘉数高地における戦闘での米軍の戦死者は2万6千名、日本軍にいたっては6万4千人に及びました。
両軍ともに多くの兵士が命を失ったこの丘を米軍は「死のわな」と呼んだそうです。
嘉数高地は、現在嘉数高台公園として整備されていますが、
100段を超える石段を登った丘の上には当時のトーチカや地下壕の跡が残されており、
京都の塔・青丘の塔・嘉数の塔などの慰霊碑が建てられています。

嘉数高地にただ1つ残されたトーチカ。左側が入り口。反対側には銃眼が海に向かって開いています。

現在、嘉数高地には地球をかたどった展望台が立ってます。
展望台の頂上からは、近くは普天間飛行場から遠くケラマ諸島まで見渡すことができます。