マヤーガマ

喜屋武岬の先端、各県の慰霊の塔が点在するあたりに、マヤーガマがあります。
ガマの入口に立てられている表示板には、
「昭和19年11月頃から昭和20年3月の間、山城集落の住民の約1/3が避難し尊い命をまもった場所であります。」
との説明書きがあります。しかし、実際の戦闘が行われたのは4月から6月で、
肝心の3月以降、住民がどのようになったのかはこの説明ではよく分かりません。
実際には、第62師団(石部隊)の兵士60名あまりが住民を追い出し、立てこもったようです。
内部に入ってみると、住民の物と思われる日用品に混じり、日本軍の物と思われる遺留品が多数見られ、
この壕の中心が住民から軍へととって替えられたことがよく分かります。
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ここのあたりの壕には、日本軍とともに女性たちが隠れていたとも伝えられています。
沖縄戦で日本兵と行動をともにしていたのは、強制連行された慰安婦ではなく、
もともと男性の相手を生業としていた女性たちである場合が多かったようです。

壕の入口付近(写真左)入口はそう広くはなく傾斜が急ですが、内部は広くなっています。

壕の内部に入ると、岩の上に掘り出された遺留品がかためて置いてありました。(写真左)
生活用品に混じって、弾薬や軍の装備品の一部と思われる物も見られます。
壕内部は現在も調査中ということで、足元にラインが張られていました。(写真右)

防毒面(ガスマスク)の部品(写真左)
歩兵銃の物と思われる弾丸(写真右)

ヘアピンのような物が見て取れます(写真左)これは女性がいたという証拠でしょうか。
ほかにも、おしろいケースの一部に見える物などもありました。
手榴弾にしては小さいです。電池のような物でしょうか?けっこうたくさんありました。(写真右)

背骨のあたりでしょうか。けっこう大きな人骨もたくさん見られます。(写真左)
やはり、圧倒的に多く見られる遺留品は靴の底でした。(写真右)