横須賀/貝山地下壕

神奈川県横須賀市。
東京湾の入口に位置するこの町は、江戸時代から国防の拠点とされてきました。
太平洋戦争中は、大日本帝国海軍の拠点となり、栄え町です。
現在でも、海上自衛隊と米国海軍第7艦隊の基地が置かれており、
イラク戦争においても海自・米国海軍ともにこの港から出撃していきました。
現在においても、まさにここ横須賀は「軍港」と呼んでいいでしょう。
追浜/貝山地下壕
追浜は横須賀港に近く、第二次世界大戦中は、海軍航空隊の重要な施設がありました。
こうした施設も、制空権が失われるにつれて、次第に危険にさらされる可能性が高くなり、
軍は地下に壕を掘って拠点機能を移そうとしました。
この付近には、夏島・野島といった地下格納庫も確認されており、
貝塚地下壕はこうした施設の中心的機能を担う目的で作られたのではないかと考えられています。

追浜浄水場
全長2000mに渡る貝山地下壕は、追浜浄水場の敷地内に口を開けています。
浄水場から見渡せる山は、現在でも蟻の巣のように地下壕が存在するのです。

貝塚地下壕入口
壕内にむやみに立ち入ると危険なため、ふだんは施錠されています。
今回は許可を得て、地域の先生の案内で見学させていただきました。
内側から見ると壕の入口は狭いのですが、当時はもっと地面が低かったのかもしれません。

壕内の壁は、すべてツルハシ等を使って、手堀りで掘られたものです。
沖縄のような自然壕と違い、床は平たんで歩きやすく、壁や天井にはツルハシのあとがあります。

壕内の構造物
壕内の天井はドーム型に掘ることにより、強度を保っています。
当時は、天井にトタンの天井板が貼られていたそうです。
左の写真の通路は、他の通路より低い場所にあり、水がたまっています。
右の写真のように石やレンガを積み上げて通路を仕切っている場所もいくつかありました。
壁には鉄の扉がはめ込まれていたようです。

会議室?
この部屋は他の部分とは違い、入口付近の床にコンクリートが貼られています。
明らかに通路などとは違い、何かの目的を持って作られた部屋のようです。
会議室あるいは食堂のように、テーブルを並べてあったように思われます。
壁には四つ切り画用紙ほどの広さのくぼみが掘られており、
ここに御真影や神棚をはめ込んだのではと考えられています。

また、通路の入口付近にこのようなくぼみも見られました。
部屋の用途を示すプレートがはめ込まれていたのでしょう。
くぼみの左下に、小さな穴が空いているのが分かりますか?
これは、炸薬を入れるための穴だそうです。
まず、このような穴を堀り、爆破してから掘ったようです。

手洗い場
廊下にコンクリート造りの四角い構造物がありました。
これは、手洗い場だと考えられています。
また、この横にある部屋が、便所だという説もあります。
ただ、便所だとすると排泄物の処理をどうしたのかが疑問です。

「便所」といわれている部屋の中にあったさらに小さな部屋。
ここが便所だとしたら、この個室は「大」の方なのでしょうか。
床には白い陶器の破片が散乱していました。
便器の一部のようにも見えますが、これが当時の物かは不明です。

かまど
沖縄の自然壕ではまずお目にかかれない、しっかりとした煉瓦造りのかまどです。
薪を入れる口、空気穴、鍋を置く部分も当時のまま、素晴らしい保存状態です。
煙突が、かまどの右側から壁を伝って壕の外まで延びていたのが分かります。

階段
コンクリート造りのしっかりとした階段は、貝山の頂上に空いた出口に続いています。

コンクリートの部屋
コンクリートで塗り固められた小さな部屋です。
他の部屋がこのように塗り固められていないことを考えると、
何か重要な物を保管するための部屋だったのでしょうか?
木製の天井板が、まだ半分くらい残っていました。




